イランダイアリー:16日目−2009年10月25日

シラーズ > ペルセポリス > シラーズ

朝起きて枕の生地がディズニーキャラクターのミッキーマウスのプリントなのに気がついた。この旅行中アメリカの漫画のキャラクターをいろいろな所で見た。多分これらのキャラクターは革命前に入って来てそのまま人気を保っているのだろう。

今日はこの旅のハイライトの一つペルセポリスを訪れた。シラーズから約65キ北にある。ユネスコ世界文化遺産に登録されている広大な遺跡は肥沃な平野の丘に位置している。アケメネス朝(ca. 550-330 BCE) の儀式用首都であったが、アレクサンダー大王の兵士達が大王の戦勝パーティーで酔っぱらって焼き払ったとされている。破壊された遺跡に残っている円柱、彫像、柱頭、レリーフからアケメネス文明の高度な文化的及び技術的な完成度がうかがえる。

何年もかけて彫刻に覆われた宮殿を建造した石工達の鋭い観察力と驚くべき技能は明白である。特に彼等の動物や伝説上のグリフィンの描写には目を見はる。

数多くの宝物の一つは当時の王の帝国内から王に捧げる貢ぎ物を持った行列を表したレリーフである。その貢ぎ物の一つは母ライオンとその子供達であった。母ライオンの子供達を気遣う苦しみは、大きく開いた口と子供達を見ようと振り返った首に見られる。なんとパワフルな表現であろう。まるで2,500年前の母ライオンの吠える声が壮大な遺跡中に響き渡ったように感じた。

Good morning Mickey and Minnie! おはよう ミッキーとミニー!

Persepolis-the ambassadors gate ペルセポリス—大使の門

A photo shoot-ladies in local nomads’ dress 写真撮影−この辺りの遊牧民のドレスを着た女性達

Griffin capital-a lion’s body with an eagle’s head グリフィン柱頭−獅子の体に鷲の頭

Only a fraction of this vast ruin 広大な遺跡のほんの一部

Zoroastrian symbol of the vernal equinox 拝火教の春分のシンボル

European tourists have left their marks ヨーロッパからの旅人が残した跡

A mother lion and her cubs 母ライオンと子供達

Achaemenian imperial tombs アケメネス朝の王達の墓

Tourists from Greece-Alexander’s successors ギリシャからの旅人—アレキサンダーの子孫

The herbs in this appetizer I never had before or since. Fragrant and flavorful, it goes well with goat cheese and delicious flat bread アペタイザーに出た香草は始めてでその後も出会っていない。香り高く味がよく、ヤギのチーズと美味しい平たいパンと素晴らしく合う。

 

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イランダイアリー:15日目−2009年10月24日

 ヤズド>パサルガダエ>シラーズ

ヤズドから西に向かう道はマルコ ポーロが通った道筋である。昔のシルクロードをたどっているという事実に高揚感を覚えた。

ハイウエイ沿いにまるで巨大なモグラが通った様な中央に穴のある多数の土塁を見た。それらは地下を通って山から平地の農場と町に水を引いてくる伝統的な灌漑設備の一部で、カナートと呼ばれる。これらの設備は常にメインテナンスが必要でその多くは修理を必要としている。最盛期にはこのシステムがイランの繁栄に大きな役割を果たした:『水のあるところに生命あり』。

砂漠の広野の真ん中で(実は古代パサルガダエの旧跡)ペルシャ帝国の創立者サイラス大王(559年—西暦530年)の巨大な石造りの墓石にたどり着いた。そのシンプルかつ重量感と威厳にあふれた美しさは素晴らしい。アミアーはこの墓石はイラン国家の象徴であり、それを『イランの出生証明書』と呼んだ。

その後バスの中で第三代イマーム(626年−680年)の死を歌で物語ったアシュラの吟謡のDVDを鑑賞した。それは劇的で情熱的なパフォーマンスだった。私は何百人もの男性が涙を流しているのを見て驚いてしまった。カメラがむせび泣きながら涙を拭っている一人の男性を大写しにした。それはアフマディーニジャード氏であった。

シラーズの町に入って建物の屋上や塀の上に殉教者の肖像画や写真が数多くあるのに気がついた。イラン文化を理解する為には殉教は最も重要な要素の一つである。殉教者は天国に行く事を保証されている。大多数はイラン/イラク戦争の犠牲者である。

The hotel we stayed in Yazd had a beautiful traditional ceiling. ヤズドのホテルの部屋の美しい伝統的な天井 

We took the route taken by Marco Polo マルコポーロが旅したルートをたどる

Bumps in the foreground are Qanats 前景に見えるでこぼこがカナート

Peeking in a Qanat カナートをのぞく

We see this box all over in Iran. It is a charity box and announcing a charity feast. Sign on the left says, “ Prayer is a weapon against the enemy” この箱をイラン中で見た。それは慈善箱で慈善の祭りを知らせている。左のサインは『お祈りは敵に対する武器』

Posters of President Mahmoud Ahmadinejad left over from past election. マフムード アフマディーネジャード大統領のポスターが選挙の後で残っていた

Lunch under the gaze of the Ayatollah アヤトラに見つめられてランチ

Iran’s birth certificate-the tomb of Cyrus the Great イランの出生証明書−サイラス大王の墓石

Entering to Shiraz シラーズに入る

Martyrs 殉教者達

My sister lives in San Diego 姉がサンディエゴに住んでいます

For a change I had a shrimp kebab for dinner 気分を変えてシュリンプシシカバブ

 

 

 

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イランダイアリー:14日目−2009年10月23日

ヤズド>タフト>ヤズド

ヤズドは中央アジアとインドへの国際的なキャラバンルートの主要な宿場であった。その建築物は私達が見たうちの最も伝統的なペルシャ様式であろう。風の塔と呼ばれる換気装置はヤズドが始まりである。

この日はイスラム以前のペルシャの宗教であった拝火教訪問に充てられた。初めに私達は死者を置く沈黙の塔を訪れた。かつて拝火教徒達は遺体を洗い清め、顔だけを残して白い布で包み、空に顔を向けて安置し(塔の上に)、死肉を食べる鳥達に啄ませた。清められた遺骨は集められて納骨堂におさめられた。それ故彼等は彼等にとって神聖な四元素、地、空気、火、水が汚されるのを避けた。皇帝の政府によって沈黙の塔が使用を禁止されて以来、拝火教徒の遺体はコンクリートの中に封じ込められるようになっている。アミアーによると現在イランには2万人の拝火教徒が存在し、さらに多くの教徒がインド及び他の地域に存在している。

ヤズドでかなり観光化された拝火教の寺院を訪れた。祀られている火は西暦470年から燃え続けているという。

そのあと小さな拝火教の村タフトの今でも使われている質素な寺院に行った。村は美しい柘榴の樹々に囲まれて、四つ角には土塀に小さな窪みが作られお香の火が燃え続けていた。

ヤズドに戻って、町の拝火教地区を歩いた。そこは今でも教徒達が住んでいるコミュニィティーだった。まるでその辺り全体がひっそりと土塀の陰に隠れているように見えた。

The Friday Mosque in Yazd has the tallest twin minarets in Iran ヤズドにある金曜モスクのイランで一番高い対のミナレット

This Tower of Silence (hill) was only for the corpses of men. Another hill nearby was reserved for women この沈黙の塔(丘)は男性の遺体用。近くのほかの塔は女性用になっている

This fire has been kept burning since 470 CE この火は470年から燃え続けている

The attendant at the Zoroastrian temple in Taft タフトの拝火教寺院の付き添い人

A Zoroastrian Altar 拝火教の祭壇

Pictures of ancestors 先祖の写真

This local architecture reminded me of Mondrian paintings モンドリアンの絵画を思い起こさせるヤズドの地方建築

The only “Kick out the Jews from Jerusalem” we saw on this trip この旅行で見た、ただ一つの「ユダヤ人をエルサレムから排斥」ポスター

An Iranian invention to deal with desert heat 砂漠の暑さ対策のイランのアイディア

A Zoroastrian district in Yazd ヤズドの拝火教地区

Local college students 地元の女子大学生

It was nice to see pickled garlic again ニンニク漬けにまた会えてよかった

 

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イランダイアリー:13日目−2009年10月22日

ケルマーン>ヤズド

今朝はケルマーンのバザールを訪れた。屋根付きのバザールで本の装丁をする店に惹きつけられて入った。手の込んだ革細工や布の表紙で溢れた美しい店だった。二人の男性が挨拶し、私達は話をした。数分後店主が少し若い方の男性を私に「彼は1979年のイラン革命の英雄ですよ」と紹介した。彼は内気で謙虚な人柄のようだった。

アフガニスタンとの国境から320km程のケルマーンは戦争を逃れて来た多くの難民の避難所のようであった。バザールでアフガニスタンの民族衣装姿の二人の男性を見かけて挨拶をした。お互い何処から来たのかたずね合った。彼等はヘラトから来たと言った。

同じグループと10日以上旅をしていて、旅仲間の個人的な履歴を知り始めていた。この日は私達のうちの一人が引退したCIA要員であった事を知った。この男性はいつもバスの前に座り、私は後ろに座るのであまり話した事がなかった。他の旅仲間が彼は元CIAであると教えてくれた。その瞬間私は彼が何故素晴らしい『ピープルスキル』を発揮するのか納得した。いつでも地元の人々に会う度、彼は楽々と好意的に人々に話し掛ける。きっとそれは彼の元の職業に必要な技能の一つだったのだろう。彼は我々のバスの中ではいつも無口だった。

小さな博物館で元CIA氏が入り口を警護している若い兵士に話し掛けているのを見た。兵士は私のカメラを見て彼と元CIA氏の写真を撮るように頼んだ。アミアーから「絶対制服の写真は撮らないように」と言い渡されていたので、私はちょっと可笑しくなった。制服のほうから写真を撮るよう頼んでいる。

A hero of the Iranian Revolution イラン革命の英雄

In the bazaar  バザールで

Afghan Refugees アフガニスタンからの難民

Some American film posters いくつかのアメリカ映画のポスター

At a rest stop ハイウエイストップ

Syringe 注射器

In the middle of the desert there was a large electric generating facility 砂漠の真ん中にあった大きな発電所

Every hotel room has a marking on the ceiling indicating the direction to Mecca ホテルの全ての部屋にはメッカの方向を示すマークがある

New friends  新しい友達

One of my favorites was this eggplant dish. It goes very well with rice or with the amazing Iranian bread この茄子の料理は私のお気に入りのうちの一つだった。ライスとも素晴らしいイランの平らなパンともよくあう

 

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イランダイアリー:12日目−2009年10月21日

ケルマーン>ライエン>ケルマーン

イラン南東部に位置するケルマーンはダシェル砂漠のオアシスの町である。この地方は気温が摂氏62度(華氏144度)に達した記録がある。

この地方ではアフガニスタンからの麻薬密輸が深刻な問題となっている。ライエンに向かう途中我々のバスは警官に麻薬検査の為止められたが形式的な検査だった。イラン東部では1kgの阿片の値段が約200ドルであるが、米国の末端価格は20万ドルと言われている(2009年)。

ライエン城はとても珍しい泥煉瓦で出来た要塞である。同類でもっと重要な遺跡はさらに南西にあるバムであるが、2003年に不幸にも6.6マグニチュードの地震で破壊され2万7千人の人々が亡くなった。

昼食に予定されているレストランに我々のグループが向かっている時、狭い路地を隔てた建物の3階のバルコニーから3人のきちんとした服装の男性が私達を見ているのに気がついた。ツイードのジャケットに白いターバンの年長の男性はヴィデオカメラを持った若い男性に何か言った。若い男性はヴィデオを撮り続けながらバルコニーの端迄近づいて来た。ダークスーツ姿の3人目の男性はただ私達を観察し続けていた。ミステリアス!私はなにも気付かなかったふりをして歩き続けた。

Two thirds of Iran is desert イラン国土の3分の1は砂漠である

At the Citadel posters discouraged greeting with a handshake. There was an outbreak of Swine Flu in the area. 城塞遺跡のポスターが握手をしないよう指示している。このあたりではH1N1インフルエンザが流行していた

Rayen Citadel (or Rayen Castle) made of mud bricks, is at least a 1,000years old泥煉瓦で出来ているライエン城塞は少なくとも1000年前に造られた 

Three mysterious men made a video of us outside this restaurant このレストランの外でミステリアスな三人の男がわれわれのヴィデオを撮った

This family owns the restaurant レストランのオーナー家族

The tomb of Shah Nemat-ollah-e-Vali, a Sufi saint and poet スフィ聖人で詩人のシャー ネマットオラエーヴァリの墓 

Iran has a many traffic accidents especially among highway truck drivers. The sticker shows the driver is seeking Allah’s protection イランでは特にハイウエイトラックドライバーの交通事故は多い。このステッカーはこのドライバーがアラーの保護を求めていることを示している

Automobile row in Kerman ケルマーン自動車業者通り

A mysterious building-its builders, age and purpose are unknown but it is very old不思議な建物—建てた人、年齢、目的は不明だけれどとにかく古い 

Bagh-e Tarikhi Gardens are lovely examples of classical Persian gardens バゲエー タリキ庭園は古典的なペルシャ庭園の素晴らしい例である

A young couple we met outside of the Garden 庭園の外であった若いカップル

The buffet of this restaurant looked like it was meant for the United Nations このレストランのバフェはまるで国連のようだ

 

 

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